都営浅草線【宝町駅:A8番出口】徒歩5分
東京メトロ銀座線【京橋駅:4番出口】徒歩10分
東京の中心でもある東京駅や銀座が徒歩圏内でビジネスはもちろん、プライベートでも非常に便利な立地です。
全体的にブラックが主張しているスタイリッシュな趣に、屋内共用廊下は赤いカーペット床でいわゆる「上質」というイメージです。まるで毎日ホテルに住んでいる様な気分を味わえるマンションです。
アーク銀座京橋がある中央区銀座周辺エリアには「発祥の地」や「記念碑」が数多く残されています。
〇自動電話交換発祥之地
自動電話交換とは、自分の電話回線と相手の電話回線を繋げてくれる装置のことを言います。電話は回線同士が繋がって初めて通話ができます。今では考えられませんが、かつて電話回線は人が取り次いでいました。正式な職業であり「電話交換手」と呼ばれ、電話機の利用増加に伴い少なくなっていきました。代わりに登場したのが「自動電話交換機」でした。1926年に東京の京橋局に初導入され、まさに京橋局があったこの地に記念碑が創設されました。
ちなみに電話をする際の「もしもし」という日本語は、前述の電話交換手が電話の最初に「申します申します」と言っていたことが由来のひとつになっているそうです。当時はまだ一般家庭に普及してなかった電話。大企業や実業家相手に丁寧な対応をする為に「こちらから話しますよ」という意味で言っていたそうです。
〇江戸歌舞伎発祥之地
歌舞伎は、かつて出雲の阿国が江戸城で「かぶき踊り」を披露したことから始まります。そこから時代と共に変化していった歌舞伎は、「東京と大阪」の様に「江戸歌舞伎と上方歌舞伎」に分かれ、二つの文化に進化していきました。
当時の江戸は男性が多く江戸歌舞伎は勧善懲悪で迫力ある演出、強い男が勝つような演目が好まれました。商人が多かった大阪の上方歌舞伎は人情や男女の恋愛というような演目が人気でした。
江戸で初めて常設の歌舞伎専用劇場となったのは、1624年に初代中村勘三郎が芝居小屋として中橋(日本橋と京橋の中間)に建てた「猿若座」でした。この記念碑は江戸歌舞伎の原点である「猿若座」と江戸の大衆文化を今に伝えています。
〇銀座発祥の地
江戸時代、銀座とは銀貨を鋳造する役所の名前でした。その銀座役所があった町の地名は新両替町でした。しかし人々はその地を銀座と呼び、その名が定着していた為1869年に正式に銀座という地名が誕生しました。
銀座発祥の地の記念碑は銀座中央通り沿いに位置しています。実はこの通り自体も「日本の道100選」に選出されており、その碑もありました。1986年~1987年にかけ当時の建設省が制定した「日本の道100選」。歴史や美観が優れているだけでなく街の文化や生活に深く関わった道が選ばれたそうです。
アーク銀座京橋に住む最大なメリットは何と言ってもその立地にあります。
通勤や通学時間が短くなり、それによって時間に余裕が生まれ「学ぶ・遊ぶ」など日々の生活にプラスできる様々な選択肢を広げられます。
充実した健やかな毎日を烏山はマンションを通して守り続けます。